織田信長〈天下人〉の実像 /金子拓
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≪商品情報≫
著者名:金子拓
出版社名:講談社
発行年月:2014年08月
判型:新書
ISBN:9784062882781
≪内容情報≫
「信長は本当に全国統一を目指していたのか?」「『天下布武』は全国統一宣言だったのか?」「正倉院の秘宝『蘭奢待』切り取りは、天皇の権威簒奪のためだったのか?」・・・。これまでの常識と先入観を排し、確実な史料だけに基づいて信長の行動を解釈する、最も新しい知見に基づいた最新の信長像。(講談社現代新書)
「戦国大名は天下統一の為に競い合っていた」という戦国大名観は近年では否定されていますが、信長だけは例外と見做されてきました。しかし著者が発見した書簡を初めとする史料から見えてくる客観的な信長像は、他の戦国大名とさほど違ったものではありません。有名な「天下布武」の印章も、信長が「天下を取る」ことを宣言したものではありません。天下とは日本「全国」ではなく、京都を中心とした畿内のことに過ぎません。「天下布武」とは、畿内の秩序維持を、足利将軍をサポートして自分が執り行うという意味なのです。秀吉が行ったのはまさに「全国統一」でしたが、信長にはそういう意志はなかったのではないでしょうか。
しかし『天下布武』の構想も信長の言うなれば「脳内」のものに過ぎず、「大義名分」として説得力のあるものではありません。信長が足利義昭になりかわって事実上の将軍の職務を担っているからといって、他大名には信長の「言い分」に従わなければならないいわれはないのです。結局、信長は武力で「言い分」を認めさせるしかなくなります。自称「天下をおおせつかっている」信長は、かくして諸大名との衝突を繰り返します。例えば上杉氏とは当初、良好な関係にありましたが、信長の版図が拡大し直接境を接するようになると両者は戦争になります。そのような行動が後世の目で見ると、着々と諸勢力を征服して「天下統一」へと邁進していたかのように見えたのです。そもそも信長は、組織的な「政権」は作りませんでした。征服した領土の経営も家臣に丸投げで、支配の方式に革新的な面はありません。その点でも秀吉に比べ信長の「権力」は中途半端な中世的な段階に止まっていたと見做した方がよいのです。
しかし、そのような信長も、最後には「全国統一」という野望に目覚めたのではないかと思われる節もなくはありません。四国攻めなど最晩年の軍事行動には以前とは性質を異にした所があり、もしかしたら本気で全国制覇をする気になっていたのかも知れないと著者は考えます。光秀に殺されたために、その真意がどこにあったのかはわかりません。しかし光秀の謀反自体が、このような信長の豹変が惹起させたものである可能性さえ考えられないことはないのです。本書は一切の先入観を廃し、確実な史料だけに基づいて信長の行動を解釈すればどうなるかを解明し、最も新しい知見に基づいた最新の信長像を提示します
著者名:金子拓
出版社名:講談社
発行年月:2014年08月
判型:新書
ISBN:9784062882781
≪内容情報≫
「信長は本当に全国統一を目指していたのか?」「『天下布武』は全国統一宣言だったのか?」「正倉院の秘宝『蘭奢待』切り取りは、天皇の権威簒奪のためだったのか?」・・・。これまでの常識と先入観を排し、確実な史料だけに基づいて信長の行動を解釈する、最も新しい知見に基づいた最新の信長像。(講談社現代新書)
「戦国大名は天下統一の為に競い合っていた」という戦国大名観は近年では否定されていますが、信長だけは例外と見做されてきました。しかし著者が発見した書簡を初めとする史料から見えてくる客観的な信長像は、他の戦国大名とさほど違ったものではありません。有名な「天下布武」の印章も、信長が「天下を取る」ことを宣言したものではありません。天下とは日本「全国」ではなく、京都を中心とした畿内のことに過ぎません。「天下布武」とは、畿内の秩序維持を、足利将軍をサポートして自分が執り行うという意味なのです。秀吉が行ったのはまさに「全国統一」でしたが、信長にはそういう意志はなかったのではないでしょうか。
しかし『天下布武』の構想も信長の言うなれば「脳内」のものに過ぎず、「大義名分」として説得力のあるものではありません。信長が足利義昭になりかわって事実上の将軍の職務を担っているからといって、他大名には信長の「言い分」に従わなければならないいわれはないのです。結局、信長は武力で「言い分」を認めさせるしかなくなります。自称「天下をおおせつかっている」信長は、かくして諸大名との衝突を繰り返します。例えば上杉氏とは当初、良好な関係にありましたが、信長の版図が拡大し直接境を接するようになると両者は戦争になります。そのような行動が後世の目で見ると、着々と諸勢力を征服して「天下統一」へと邁進していたかのように見えたのです。そもそも信長は、組織的な「政権」は作りませんでした。征服した領土の経営も家臣に丸投げで、支配の方式に革新的な面はありません。その点でも秀吉に比べ信長の「権力」は中途半端な中世的な段階に止まっていたと見做した方がよいのです。
しかし、そのような信長も、最後には「全国統一」という野望に目覚めたのではないかと思われる節もなくはありません。四国攻めなど最晩年の軍事行動には以前とは性質を異にした所があり、もしかしたら本気で全国制覇をする気になっていたのかも知れないと著者は考えます。光秀に殺されたために、その真意がどこにあったのかはわかりません。しかし光秀の謀反自体が、このような信長の豹変が惹起させたものである可能性さえ考えられないことはないのです。本書は一切の先入観を廃し、確実な史料だけに基づいて信長の行動を解釈すればどうなるかを解明し、最も新しい知見に基づいた最新の信長像を提示します