11/25
時点_ポイント最大18倍
中世天皇家の作法と律令制の残像 /久水俊和
販売価格
7,700
円 (税込)
送料無料
- 出荷目安:
- 1~2営業日で出荷
たまるdポイント(通常) 70
+キャンペーンポイント(期間・用途限定) 最大17倍
※たまるdポイントはポイント支払を除く商品代金(税抜)の1%です。
※表示倍率は各キャンペーンの適用条件を全て満たした場合の最大倍率です。
各キャンペーンの適用状況によっては、ポイントの進呈数・付与倍率が最大倍率より少なくなる場合がございます。
dカードでお支払ならポイント3倍
各キャンペーンの適用状況によっては、ポイントの進呈数・付与倍率が最大倍率より少なくなる場合がございます。
- 商品情報
- レビュー
≪商品情報≫
著者名:久水俊和
出版社名:八木書店
発行年月:2020年06月
判型:A5
ISBN:9784840622394
≪内容情報≫
中世に残された古代律令制の実像とは?
朝廷と室町幕府のあらたな関係を提示
天皇家の公事作法や神事・学芸に注目し、皇統確立の過程を明らかに。律令国家以来の太政官制が中世に機能していたことを論証。平安京大内裏跡の具体的な復原も試みる。
【下級役人に注目した公武共同執行体制の再構築】
●最新の学説「公武統一政権」では、朝廷=天皇、幕府=将軍の“個人商店”ともいえる趣で、最上層部のみを対象に述べられており、下級役人は軽視されている。
●幕府には政所があり、朝廷には官司請負化しているものの律令国家以来の太政官制が健在なのにもかかわらず、里内裏=内廷機能ばかりが注目され、太政官制は「形骸化」したと誤認される。
●公武の実務担当の下級役人を手がかりに、公武共同による執行体制の再構築を試みる。
【皇統はどのように確立したのか】
●正平一統(南北朝期の正平年間〔1346‐70〕に一時的に南北朝が合体したこと)がきっかけとなり北朝は後光厳院流・崇光院流の2つに分裂。後花園は後光厳院流を継承したのか、それとも血脈優先で崇光院流を継承したのか。現在の皇室にもつながる問題に挑む。
●後花園(貞成)への尊号宣下により崇光院流に決着したする通説に対して、「家(イエ)」を構成する要素は公事作法・仏神事・学芸など多岐にわたる点に注目し、新説を提示。皇統の問題を追求する。
【平安京大内裏跡の復原】
●中世後期から近世初頭、「内野」と呼ばれた平安京大内裏跡を復原。これまではほとんどが里内裏=内廷機能中心に論展開されており、内野を舞台に展開された太政官・神祇官・真言院の国家的機能が軽視されている。さらに、中世内野を復原した諸地図に至っては、空閑地のままである。
●内野に存続した神祇官・太政官庁・真言院および神泉苑の機能を明確にし、内野での機能的終焉を追跡する。同時に、内野に何故これらの官衙・禁苑が維持されたのかを、その終焉から帰納的に考察する。終焉の画期となった聚楽第・二条城築城と内野の連関も試みる。
著者名:久水俊和
出版社名:八木書店
発行年月:2020年06月
判型:A5
ISBN:9784840622394
≪内容情報≫
中世に残された古代律令制の実像とは?
朝廷と室町幕府のあらたな関係を提示
天皇家の公事作法や神事・学芸に注目し、皇統確立の過程を明らかに。律令国家以来の太政官制が中世に機能していたことを論証。平安京大内裏跡の具体的な復原も試みる。
【下級役人に注目した公武共同執行体制の再構築】
●最新の学説「公武統一政権」では、朝廷=天皇、幕府=将軍の“個人商店”ともいえる趣で、最上層部のみを対象に述べられており、下級役人は軽視されている。
●幕府には政所があり、朝廷には官司請負化しているものの律令国家以来の太政官制が健在なのにもかかわらず、里内裏=内廷機能ばかりが注目され、太政官制は「形骸化」したと誤認される。
●公武の実務担当の下級役人を手がかりに、公武共同による執行体制の再構築を試みる。
【皇統はどのように確立したのか】
●正平一統(南北朝期の正平年間〔1346‐70〕に一時的に南北朝が合体したこと)がきっかけとなり北朝は後光厳院流・崇光院流の2つに分裂。後花園は後光厳院流を継承したのか、それとも血脈優先で崇光院流を継承したのか。現在の皇室にもつながる問題に挑む。
●後花園(貞成)への尊号宣下により崇光院流に決着したする通説に対して、「家(イエ)」を構成する要素は公事作法・仏神事・学芸など多岐にわたる点に注目し、新説を提示。皇統の問題を追求する。
【平安京大内裏跡の復原】
●中世後期から近世初頭、「内野」と呼ばれた平安京大内裏跡を復原。これまではほとんどが里内裏=内廷機能中心に論展開されており、内野を舞台に展開された太政官・神祇官・真言院の国家的機能が軽視されている。さらに、中世内野を復原した諸地図に至っては、空閑地のままである。
●内野に存続した神祇官・太政官庁・真言院および神泉苑の機能を明確にし、内野での機能的終焉を追跡する。同時に、内野に何故これらの官衙・禁苑が維持されたのかを、その終焉から帰納的に考察する。終焉の画期となった聚楽第・二条城築城と内野の連関も試みる。