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蒙古の子守唄 余話 司馬遼太郎への畏敬と反論 北のまほろば 我が故郷への想い /三上洋右
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- 商品情報
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≪商品情報≫
著者名:三上洋右
出版社名:高木書房
発行年月:2024年08月
判型:四六判
ISBN:9784884714741
≪内容情報≫
津軽には3つの宝物ある。それは、岩木山、津軽平野、十三湖である。
十三湖の東側には、吉田松陰遊賞の石碑が建立されている。著者は幼いころ、その場所が好きだった。松陰が見たであろう秀峰岩木山を眺めながら、寝転がって流れる雲を見上げ、「絶対に偉くなって母親を楽にさせる」と誓った。それが青雲の志となり、19歳で北海道に渡った。
札幌市民となって約半世紀、九州対馬を訪問したことをきっかけに、それまで記憶の奥底に眠っていた謎が目覚める。幼い頃に聞いた母の子守唄に登場する「蒙古」、そして自分の先祖と聞いた海賊「安藤水軍」。その2つの謎を解く旅を『蒙古(もんこ)の子守唄』として令和4(2022)年に上梓したのだが、執筆中、新たに3つ目の謎が生まれた。それは津軽が生んだ文豪、太宰治である。彼の祖先は、蒙古襲来から逃げ延びた対馬の人ではないか?
この3つの謎を解くべく、旅(執筆)を始めた筆者。特に注目したのが太宰治の小説『津軽』と、司馬遼太郎の『街道をゆく・北のまほろば』であった。太宰は生まれ育った津軽をどのように描いたのか。そして司馬が青森を〝北のまほろば〟とまで褒め称えた理由が何だったのか。それが知りたかったのである。しかし、両書を読み進めていくうち、いくつかの疑問を抱く。
司馬は、津軽の人々が飢饉に苦しめられたのは、弘前藩の相次ぐ新田開発によって無理に無理を重ねた「コメ一辺倒政策の悲劇」と断罪している。これに著者は違和感を持ち、司馬への反論を決意する。
さらに、太宰は『津軽』を風土記というが、それは風土記に名を借りた「遺書」であるとの考えに至った。同時に、太宰が見ていない、書いていない、自分自身もまだ知らない「津軽」を探求してみたいという、新たな旅(執筆)への思いに駆られる。
津軽は本当に悲劇の舞台であったのか。そして「我が故郷とは」と、改めて自らに問いかける〝津軽再発見の旅〟が、ここに始まる。
著者名:三上洋右
出版社名:高木書房
発行年月:2024年08月
判型:四六判
ISBN:9784884714741
≪内容情報≫
津軽には3つの宝物ある。それは、岩木山、津軽平野、十三湖である。
十三湖の東側には、吉田松陰遊賞の石碑が建立されている。著者は幼いころ、その場所が好きだった。松陰が見たであろう秀峰岩木山を眺めながら、寝転がって流れる雲を見上げ、「絶対に偉くなって母親を楽にさせる」と誓った。それが青雲の志となり、19歳で北海道に渡った。
札幌市民となって約半世紀、九州対馬を訪問したことをきっかけに、それまで記憶の奥底に眠っていた謎が目覚める。幼い頃に聞いた母の子守唄に登場する「蒙古」、そして自分の先祖と聞いた海賊「安藤水軍」。その2つの謎を解く旅を『蒙古(もんこ)の子守唄』として令和4(2022)年に上梓したのだが、執筆中、新たに3つ目の謎が生まれた。それは津軽が生んだ文豪、太宰治である。彼の祖先は、蒙古襲来から逃げ延びた対馬の人ではないか?
この3つの謎を解くべく、旅(執筆)を始めた筆者。特に注目したのが太宰治の小説『津軽』と、司馬遼太郎の『街道をゆく・北のまほろば』であった。太宰は生まれ育った津軽をどのように描いたのか。そして司馬が青森を〝北のまほろば〟とまで褒め称えた理由が何だったのか。それが知りたかったのである。しかし、両書を読み進めていくうち、いくつかの疑問を抱く。
司馬は、津軽の人々が飢饉に苦しめられたのは、弘前藩の相次ぐ新田開発によって無理に無理を重ねた「コメ一辺倒政策の悲劇」と断罪している。これに著者は違和感を持ち、司馬への反論を決意する。
さらに、太宰は『津軽』を風土記というが、それは風土記に名を借りた「遺書」であるとの考えに至った。同時に、太宰が見ていない、書いていない、自分自身もまだ知らない「津軽」を探求してみたいという、新たな旅(執筆)への思いに駆られる。
津軽は本当に悲劇の舞台であったのか。そして「我が故郷とは」と、改めて自らに問いかける〝津軽再発見の旅〟が、ここに始まる。