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グラバーの息子 /中野和久
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- 商品情報
- レビュー
≪商品情報≫
著者名:中野和久
出版社名:長崎文献社
発行年月:2025年07月
判型:四六判
ISBN:9784888514316
≪内容情報≫
父トーマス・グラバーからトミーの愛称で呼ばれて
いた倉場富三郎は、少年時代を長崎と東京で過ごし、
数年間のアメリカ留学を経て21歳のとき長崎に帰っ
てきた。
大学では父が望む経営学ではなく生物学を
専攻したものの、学位を取らず中退しての帰国だっ
た。当時はアメリカも日本も、日英のハーフである
富三郎を快く受け入れてくれる時代ではなかった。
押し出しの強い父とは違い、温厚で生真面目で優し
い心を持つ彼は、世間の偏見を跳ね飛ばすことが出
来なかったのだ。
しかし、父のいる東京ではなく生まれ育った長崎での
独立を希望した富三郎はその後、一念発起し経済人とし
て大活躍していくことになる。
彼は汽船会社を立ち上げ、日本初のトロール漁法を導
入して水産県長崎の基礎を作った。また語学力を活か
して長崎の経済人と外国人事業者の交流の場となる
「内外クラブ」を設立するなど国際貢献にも大きな
役割を果たした。
彼の業績のうち最も知られるものの一つは、20年の
歳月をかけて制作した『日本西部及び南部魚類図譜』
だ。この通称『グラバー魚譜』には約800種の魚介類
が細密に描写されていて、美術的価値とともに当時の
魚類資源を知る貴重な資料となっている。
富三郎自身のたゆまない努力と情熱で獲得してきた
栄誉と名望であったが、太平洋戦争によってその一
切が無に帰してしまった。日本国籍を取得していた
にもかかわらず、イギリス人を父に持つ富三郎はい
わゆる「敵性外国人」にされてしまったからだ。
ハーフという理由だけでスパイ嫌疑をかけられ、
常時、憲兵に監視されるようになってからは、
彼のもとから潮が引くように或いは手のひらを反す
ように知人や友人たちが去っていき、長年住み慣れ
た「グラバー邸」からも引っ越さざるを得なくなっ
た。
妻に先立たれ、長崎に原爆が投下され、そして
玉音放送があって数日後、富三郎は自ら命を絶っ
た。夫妻に子はなくグラバー家は断絶した。
彼は明治3年に生まれ昭和20年に亡くなった。
75年の富三郎の生涯は、帝国主義国家としてスタ
ートした近代日本が軍事大国となり、そして破滅
していく時代と重なる。彼の一生を辿ることは、
私たちの国がどこで方向を誤り、私たちがなぜ
簡単に変質してしまうのかを知ることでもある。
近代長崎の恩人ともいえる倉場富三郎を死に向
かわせたものは何だったのか。戦争と人をめぐ
る歴史小説『グラバーの息子 敵性外国人にな
った倉場富三郎』に、そのこたえが述べられて
いる。
著者名:中野和久
出版社名:長崎文献社
発行年月:2025年07月
判型:四六判
ISBN:9784888514316
≪内容情報≫
父トーマス・グラバーからトミーの愛称で呼ばれて
いた倉場富三郎は、少年時代を長崎と東京で過ごし、
数年間のアメリカ留学を経て21歳のとき長崎に帰っ
てきた。
大学では父が望む経営学ではなく生物学を
専攻したものの、学位を取らず中退しての帰国だっ
た。当時はアメリカも日本も、日英のハーフである
富三郎を快く受け入れてくれる時代ではなかった。
押し出しの強い父とは違い、温厚で生真面目で優し
い心を持つ彼は、世間の偏見を跳ね飛ばすことが出
来なかったのだ。
しかし、父のいる東京ではなく生まれ育った長崎での
独立を希望した富三郎はその後、一念発起し経済人とし
て大活躍していくことになる。
彼は汽船会社を立ち上げ、日本初のトロール漁法を導
入して水産県長崎の基礎を作った。また語学力を活か
して長崎の経済人と外国人事業者の交流の場となる
「内外クラブ」を設立するなど国際貢献にも大きな
役割を果たした。
彼の業績のうち最も知られるものの一つは、20年の
歳月をかけて制作した『日本西部及び南部魚類図譜』
だ。この通称『グラバー魚譜』には約800種の魚介類
が細密に描写されていて、美術的価値とともに当時の
魚類資源を知る貴重な資料となっている。
富三郎自身のたゆまない努力と情熱で獲得してきた
栄誉と名望であったが、太平洋戦争によってその一
切が無に帰してしまった。日本国籍を取得していた
にもかかわらず、イギリス人を父に持つ富三郎はい
わゆる「敵性外国人」にされてしまったからだ。
ハーフという理由だけでスパイ嫌疑をかけられ、
常時、憲兵に監視されるようになってからは、
彼のもとから潮が引くように或いは手のひらを反す
ように知人や友人たちが去っていき、長年住み慣れ
た「グラバー邸」からも引っ越さざるを得なくなっ
た。
妻に先立たれ、長崎に原爆が投下され、そして
玉音放送があって数日後、富三郎は自ら命を絶っ
た。夫妻に子はなくグラバー家は断絶した。
彼は明治3年に生まれ昭和20年に亡くなった。
75年の富三郎の生涯は、帝国主義国家としてスタ
ートした近代日本が軍事大国となり、そして破滅
していく時代と重なる。彼の一生を辿ることは、
私たちの国がどこで方向を誤り、私たちがなぜ
簡単に変質してしまうのかを知ることでもある。
近代長崎の恩人ともいえる倉場富三郎を死に向
かわせたものは何だったのか。戦争と人をめぐ
る歴史小説『グラバーの息子 敵性外国人にな
った倉場富三郎』に、そのこたえが述べられて
いる。

